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ぶどう山椒
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== 歴史 == === 発祥 === ぶどう山椒とは、天保年間(1830年~1844年)に[[紀伊国]][[有田郡]]遠井村(後の和歌山県有田郡[[清水町 (和歌山県)|清水町]]、現在の[[有田川町]])の医要木勘右衛門の庭に自生していたものが発祥とされており、元々は現在の[[兵庫県]][[養父市]][[八鹿町]]朝倉で栽培されていた[[朝倉山椒|アサクラザンショウ]]から派生したと言われ、その後、近隣の地域でも広く栽培されていった。当時は主に薬として重宝され、医要木家の屋号は「医用の木」と呼ばれるようになった。のちにこの屋号が岩脇姓となり、昭和期以降も遠井地区に残る岩脇家はその末裔である。 === 昭和期 === [[第二次世界大戦]]後の食生活の変化をうけて、1955年(昭和30年)くらいから香辛料としての需要も増え、[[漢方薬]]の原料としても重宝された。需要の増加に合わせ清水町(現在の有田川町清水地区)でも栽培が本格化し、1960年(昭和35年)頃から出荷量が増えた。しかし、当時は商人との直接取引であったため買いたたきや買い取り価格に格差が生まれるなど生産者にとって不利な状況が続いた。生産者を守るためにも1964年(昭和39年)に遠井の農家白藤佳秀、保田重太郎、保田輝之進の3名が組合を発足し、以後組合員が増え、1968年(昭和43年)に「清水町山椒生産組合」が設立され、初代組合長は白藤佳秀が就任した。当時は約200名の組合員が在籍し、市場の開拓や販売ルートの確立、栽培技術の向上を目指した。 当初、ぶどう山椒の成木は遠井から他へ移植すると数年で枯死してしまい、栽培に適していなかった。そのため組合では根の強い苗木を20年余り研究した結果、フユザンショウを台木とする栽培法が適していることを突き止めた。この栽培方法が確立した1980年代以降に遠井以外の地域でもぶどう山椒の栽培が可能になったと推察できることから、長峰山系の近隣地域など、もともとは朝倉山椒を生産していた地域でも、より特産品として価値が高いぶどう山椒を栽培するようになったと考えられている。 === 平成・令和期 === 平成期以降は、山椒の利用法やレシピをパンフレットなどでPRするなどぶどう山椒の魅力を広めたり、東京都衛生研究所の生薬品質検査で、輸入物に比べて清水産の山椒は成分の含有量が高いという評価を得たことで、1994年(平成6年)[[全国農業協同組合中央会]]主催の第24回[[日本農業賞]]を受賞した。 ぶどう山椒の廃棄物を活用する新たな商品開発等で持続可能な産地の育成をめざし、2019年(平成31年)から有田川町と[[龍谷大学]]が連携し主導する「ぶどう山椒の発祥地を未来へつなぐプロジェクト」は、2022年(令和4年)12月3日に[[環境省]]による第10回[[グッドライフアワード]]で実行委員会特別賞を受賞し、2023年(令和5年)には和歌山県主催の「わかやま環境賞」を受賞した。 また、[[農林水産省]]による第9回「ディスカバー農村漁村(むら)の宝」全国優良事例に認定され、奨励賞を受賞した。
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