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ぶどう山椒
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=== 昭和期 === [[第二次世界大戦]]後の食生活の変化をうけて、1955年(昭和30年)くらいから香辛料としての需要も増え、[[漢方薬]]の原料としても重宝された。需要の増加に合わせ清水町(現在の有田川町清水地区)でも栽培が本格化し、1960年(昭和35年)頃から出荷量が増えた。しかし、当時は商人との直接取引であったため買いたたきや買い取り価格に格差が生まれるなど生産者にとって不利な状況が続いた。生産者を守るためにも1964年(昭和39年)に遠井の農家白藤佳秀、保田重太郎、保田輝之進の3名が組合を発足し、以後組合員が増え、1968年(昭和43年)に「清水町山椒生産組合」が設立され、初代組合長は白藤佳秀が就任した。当時は約200名の組合員が在籍し、市場の開拓や販売ルートの確立、栽培技術の向上を目指した。 当初、ぶどう山椒の成木は遠井から他へ移植すると数年で枯死してしまい、栽培に適していなかった。そのため組合では根の強い苗木を20年余り研究した結果、フユザンショウを台木とする栽培法が適していることを突き止めた。この栽培方法が確立した1980年代以降に遠井以外の地域でもぶどう山椒の栽培が可能になったと推察できることから、長峰山系の近隣地域など、もともとは朝倉山椒を生産していた地域でも、より特産品として価値が高いぶどう山椒を栽培するようになったと考えられている。
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